あいつのことか


「伴侶がおらんのか。我輩と一緒じゃな」
 カエルと一緒にしないで!
「おぬし、学校にめぼしい男はおらんのか?恋人じゃなくても昔からよく遊ぶ男とか、おらんのか」
「ケロ」
 そういえば。幼馴染の脇和馬ってのは、いるわね。
 和馬は私の家の隣に住んでて、昔はよくゲームの相手をしてもらったものだった。最近じゃあんまり話したりしないけど、一番身近な男の子って言ったら和馬だわ。
 でも、愛しあってるって言えるのかしら。幼馴染ってよくカップルになるらしいけど、そもそも私のほうに恋愛感情がないのよね。和馬だってそんな、私に対して"小さい頃によく遊んだ女の子"以上の特別な感情なんてないと思うんだけど。

「いやいや、そやつの心の中がどうなっているかは分からんぞ。人間というものは気になる異性には素直になれんこともあるからな」
 なるほどねえ。私の救世主様が和馬だったとは。あの、毎日野球とギャルゲで汗まみれになってるやつが私の王子様なんてしっくりこないけど。
 でも、私だってゲームオタクなんだから、考えてみればお似合いだわ。新発見!
 なんだか可笑しくなってひとりで吹き出すと、池の主がじっとこちらを見ているのに気付いた。いかん、怪しかったか。
「カエルなぞは後ろから襲えばすむのじゃが――」
 池の主はそこでいったんことばを切り、しげしげと私を眺めた。
「それにしても、おぬしもエラく器量良しのカエルになったもんじゃのう。さすがは我輩」
「ゲッ……?!」
 そ、その文脈で、カエルの流し目でこっちを見るなあっ!と、私は慌ててとびすさった。
「いっそ、カエルのままここで暮らすか?」
 カモーン ヒューイ!
 力の限り大声を出して、大人しく座っているヒューイに助けを求める。
 ヒューイがすぐさま私と池の主の間に割り込み、私を鼻ですくいあげる。ありがたいことに、この賢い犬は自分の額に乗るくらいの小さなアマガエルがご主人様だとわかっているらしい。
 池の主は傷ついたようにヒューイの鼻に乗った私を上目遣いで見つめた。
「そんなに、嫌がらんでも、いいじゃないか……」


「とっとと和馬とやらに接吻してこい。思いつく人間がそれしかいないのでは仕方なかろう」
 ふくれっつらの池の主は投げやりに促した。
 和馬は休日でも部活があるから、今日も学校にいると思う。学校へはどう行けばいいか知ってる?
「池を挟んで向こう側に獣道が見えるじゃろ。あれをたどれば学校の裏庭に出る。おぬしの学校かどうかは知らんがな」
 多分、うちの学校だろう。うちの学校の裏にも森があるから。さらに言うと、時々その森からタヌキがおりてきてゴミを漁るものだから、この前なんて誰かが捨てたエロ本がそこらじゅうに散らばって男子が大喜びしていた。

 ヒューイにかかれば獣道もなんのその。
 途中で振り落とされないようにスピードをゆるめてって頼んだら、ヒューイってば、じれったそうに私を頭からポイと落として、あろうことか私を口に咥えて走りはじめた。ヒューイの牙がいつ体にささるかとひやひやして目を回しそうになったわよ。止まってって言っても全然聞かないし。

 でも、結果的に早く学校に着いた。裏庭には誰もいないけど、校舎の向こうから野球部員が練習する声が聞こえてくる。
 和馬も野球部員だから校庭に行ったら会えるだろう。
「ケロケロ、ケケロ」
 なんとなく声を落としてヒソヒソとヒューイに作戦を伝える。
 作戦といっても、ただ校庭に直行して、部員を蹴散らして、犬嫌いの顧問に捕まる前に和馬を探して、ヒューイが和馬を押し倒して、私が和馬の顔に飛びついて無理矢理キスするだけ。
 いい? ヒューイ、わかった?
 ヒューイは、ヒューイの頭によじ登る私を目で追いながらこっくりと頷いた。
 
 校舎の影から野球部員の群れを確認。さて、和馬は……ビンゴ! いた!
 和馬はちょうど3塁ベースを回ってホームに帰ってきたところのようだ。
「ケロッ!」
 今よ、突進!
 頭を低くして猛然と走り出すヒューイ!さすが警察犬に使われる種類だけあって、走りも速ければ瞬発力も高い。
 和馬がヒューイに気がついてぽかんと口を開けた。さっさとその口を閉じないと、私が喉にまで入り込むわよっ!
 ヒューイ、和馬の2m手前でジャンプ! 硬直する和馬に踊りかかります!
やった。和馬の顔は目の前、このままたたみかけて――

「あぶなあぁぁい、かずくうぅぅん!」

 和馬の顔が、ムンクの叫びみたいな女の顔に突き飛ばされた。
 既に空中にいた私は方向転換もできずに女の顔の真ん中にダーイブ……
 女の、黒板を爪で引っかくような悲鳴が周りの全ての者の耳を刺した。
 そして叫ぶわりには私をわしづかみにして力いっぱい地面に叩きつける。

 ――しまった、コイツがいたのか。もうちょっとでキスできたのに。
 私は遠くなった和馬の顔を眺めながら歯ぎしりをした。もっとも今の私に歯は無いのだけれど。

 ムンク女の正体は役ミツコ。私とも和馬とも一緒のクラスにいる同級生だ。さっきはムンク女と言ったけど、普通にしていれば顔は別にまずくない。 細身で目が大きくて、髪の毛をくるくるに巻いている。
「ああん、怖かったあ。カエル触っちゃったよお。かずくん、大丈夫? 怪我はない?」
 な〜んて言って、胸の前で手を握り締めてぶりぶりしている。

 カエルが顔に飛びついたくらいで怪我なんてするか。大体、怪我があるとすればミツコが突き飛ばしたからだ。
 私はヒューイの腹に素早くへばりついて悪態をついた。
 ミツコってちょっと前から和馬にベタベタしてるのよねえ。和馬はねー、実はギャルゲー大好きで、部屋にきわどいフィギアを6体も飾ってるんだから。
 やれやれ、と私は首を振った。こんなの許容できるのは私ぐらいよ。ミツコはオタク嫌いだから、知ったら引くだろうなあ。

「おまえ、ヒューイじゃないか。なんで学校にいるんだ? 直子が連れてきたのか?」
 和馬は怪訝な面持ちでヒューイの頭を撫でた。
「かずくん、その犬知ってるの? 噛まない?」
 ミツコや他の部員が周りに集まってきた。
 まずい。風を受けたせいで体が乾いてきてる。アマガエルは体を覆う粘液の分泌量が少ないのだ。
 早くキスしないと! 私は焦った。元に戻る前に干からびてしまえば一巻の終わりだ。

「ねえ、私にとびついたカエル見なかった? また地面から跳ねられたらと思うと、怖くてしゃがめないのお」
 和馬を含む部員達がぶりっこミツコを笑ってお互いを肘でつつきあった。

「俺は知らないなあ。ヒューイがいきなりとびかかってくるから目をつぶっちゃって。カエルなんかいたのか?」
「いたわよお。次に見つけたら、踏みつぶしてヒキガエルにしちゃうんだからあ!」
 部員がどっと笑う。
「怖えぇなあ」
 和馬も笑いながらつぶやいた。
 私は笑うどころじゃなかった。まだヒキガエルになっていないのに油汗がたらりと流れたような気がした。
 
 実際には、カエルは汗腺をもっていないので汗をかくことはない。それなら体の水分はどこから逃げるというのだろう。ああ、体が干からびていく。カチカチになっていく。今すぐヒューイに言って和馬にとびかからせたい。しかし、鳴けばミツコにばれてヒキガエルにされてしまう……

「ヒューイ、頼むから大人しくしててくれよ。練習が終わったら直子を探してやるから」
 和馬が腰を上げた――さ、させるかあ!

「ケローッ!」

 もう、とやかく言ってられなかった。中腰になった和馬を、ものすごい勢いでヒューイが襲った。再びしりもちをつく和馬、息を呑む野球部員、カエルを探して慌てて地面に目を走らせるミツコ。
 私は乾いて固くなった足を必死に伸ばして和馬のアゴによじのぼり、
「ケッチュー!」
 今度こそ、和馬とのキスを果たせたのだった。